グアム 01年8月 4ヶ月遅れだったがオーチャンの定年、還暦記念に孫子総勢7人を引き連れてグアム旅行に出かけた。 日頃の行いの悪さが露呈し、なんと行っている間中雨だった。 晴れていたらさぞかしと思える海岸線、珊瑚の砕けた物で出来た白い砂浜、なかなか印象深かったがなんとしてもお天気が・・・。 無料の島内観光はメインがショッピング。それでも雨の合間を縫って恋人岬だけは観光できた。 孫たちが4才、2才、1才と小さく飛行機の中が心配だったが特に問題はなかった。それにしても飛行機の中でなんと子供,幼児が多かったことか。 そうそう、ABCストアでビールが安かった。スーパードライが6本で6$弱、バドワイザ^なら5$弱。 |
海岸 |
海岸 |
モアイ石? |
恋人岬の像 |
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赤い路線バス |
ポリネシアンショー |
ペルー 02年4月 3年越しの願いが叶い、とうとうアンデスの地を踏んだ。 但し、到着までは大変だった。出発の最終案内が来て驚いた。成田発のはずが関空発に変更(1人3千円返金有)になっており、参加人員16人位の予測だったが突然30人に。自宅を出て、ぺルーのホテルに着くまで約30時間の長旅だった。又、現地7日間の内、3時のモーニングコールが1回、4時が2回、夕食は早くて20時からと、TDの言ではないが最もハードスケジュールな旅の一つである。しかも最初と最後のリマ滞在を除き、3400m〜4300mの高地である。 クスコからプーノへの移動日にはスト(道路に石を撒き散らし、交通を遮断)にぶつかり、2時間も立ち往生するハプニングも。 でも、マチュピチュを眼下にした時の感動は忘れられない。ゆったりと時間が流れるチチカカ湖も素晴らしかった。行程のハードさが余計感動を大きくしているのかも知れない。 同行者の内半数以上が高山病(腹痛と嘔吐が多い)に罹る中、我々2人は幸いにも比較的好調で全行程を楽しんだ。 |
マチュピチュの段々畑 |
眼下にマチュピチュを望む |
ウルバンバ川 |
チチカカ湖のトトラ(葦)舟 |
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標高4335m |
ナスカの地上絵 |
オーストラリア 02年10月 アーチャンが以前から行きたいと言っていた念願のパース&ワイルドフラワー紀行が実現した。 ワイルドフラワーは当初群生地がいたるところにあるものと想像していたが、群生している種類はそれほど多くなく、道路の横にちょこんと咲いていると言ったものが多かった。それでも200種を超える花を記録してきた。 海岸に近い所では結構、風が強く、アーチャンは写真撮影に苦労していた。マクロレンズを持っていったが使えるチャンスは少なかった。逆に風が収まると蝿の大群に悩まされた。 途中同行者の一人が岩場で2mくらい下へ転落し、背骨骨折で現地入院、1週間遅れでなんとか帰国し、日本の病院へ直行(1ヶ月の絶対安静)というアクシデントがあった。非常に明るい,前向きな人でまわりも落ち込まずに済んだが我々も気を付けないと。 パースを起点に北へ800km、南へ600kmくらいのコースだったが小さな町(村?)でも公衆トイレがきれいに整備されているのには感心した。 名勝地でも全く他の日本人グループには合わなかったし、現地の旅行者も少なく、自然を満喫できたツアーだった。 |
エバーラスティングの群生 |
環状の花が咲くリースフラワー |
ウエーブロック(大きな1枚岩) |
地平線に沈む夕陽 |
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ピナクルズ |
シェルビーチ(貝殻が堆積した海岸) |
フランス 03年5月 イラク戦争はほぼ終結したが、SARS騒ぎが勃発し、この時期海外旅行に出かけるのは危ないと言う空気が漂う中、10日間のフランス旅行を楽しんできた。実はオーチャンの兄夫婦が10年近く老人(オーチャンの母)介護にかかりきりで、海外旅行もままならない状況だったので、一区切りついたことだし一緒に行こうと誘って出かけた。 総勢15名とちょうど良い人数で比較的天候にも恵まれ、特に狙いの一つであったモンサンミッシェルが快晴でラッキーだった。 但し、オーチャンは食事に参った。魚と、鶏が多かったのであるが、両方ともオーチャンは苦手なのである。 パリではオーチャンがTDにお願いして、夜のセーヌ川クルーズを実費で案内してもらった。15人を引き連れて治安の良くない地下鉄での移動は大変だったと思うがTDのKさんありがとうございました。同行の皆さんが一番喜んだイベントでした。 ヴェルサイユ宮殿では入り口で空港と同じ検査があり、オーチャンはズボンの後ろポケットに入れた三脚のせいでブザーがなったが、何故か次の人が呼び止められ、その隙に通り過ぎてしまった。 |
モンサンミッシェル |
エッフェル塔 |
ローマ時代の水道橋 |
ニース |
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モネの庭園 |
旧法王庁 |